幼い頃は省略して生まれは岐阜県岐阜市です。
平凡な子供から少し変化が出てきたのは中学を3回転校したころからです。
勿論親の都合で最初の転校は中学2年になる時、岐阜市から高山市に転校しました。その当時両親は自営業で休みなく40名ほど人をお願いして働いていました。
私は友達もできなくてそれでも誰かに認めて欲しい気持ちが有りどんどん性格はひねくれていきました。
次の転校は中学3年の11月です。ほとんどの子が進学先も決めて勉強している時に親の都合で岐阜市に転校しました
この時は堪えました💧
実は両親の仕事が倒産してしばらく親子3人で夜逃げ生活数日過ごしました。昭和のテレビ番組のシーンそのままです。車に布団を積んで大阪まで数日ですが今でも忘れられない経験です。
それでも高山に戻りクラスメートにお別れをして岐阜に引っ越しました。
その時お金の大切さを知りました
母がお世話になったクラスメートにと鉛筆数本とノートをセットで全員分用意してくれました。それを担任の先生に渡すと『こんなことしなくてもお金ないんだから』ショックでしたこの時涙を流したこと母には今でも言えません
新しい中学では一番嫌いな英語の先生が担任でなんか終わったなと感じました。言われたことは『高山の成績表は岐阜とは比べられないからどこの高校に行きたいの?どうせ岐阜の高校に行きたいから今頃転校してきたのでしょ』とほほの気持ち
高校はお金のかからない公立に大学は父親が大反対『女に教育はいらん』働きながら行くことに
それでもいろいろな出会いが有り楽しく過ごしました。
20歳になった時取引先の方からお見合いの話が!!ビックリですが母親に話とそれ以後の学費も面倒見て卒業させてくれるならいい話かも・・・・どうだか?
これが私の40回お見合いの最初です
よく覚えています
銀行員の方で高校生の時に甲子園に行った経験があるとか
お見合いで高校生の時の話しかできないのか?大人になってからのあなたはどうなの?
このお見合いから母親が目覚めました
派手なタイプの私でしたから早く結婚させようとお見合い大作戦が始まりました
全てどこからともなく母親が頼んできたのでしょうね
毎週のようにお見合いがスタートしました
不動産屋・刃物屋さん・大学の先生・大手会社員等々忘れました
結局すべて実らず
最初の結婚は職場で見つけました
その男性は婿養子でもOKだったので条件のすり合わせで整いました
父親が病気をして今まで嫁に出すだったのが急に婿養子に変わったからです。
それから子供が一人授かりそれなりに幸せ
ところが条件での結婚はお互いに好きまでは行かない結婚だったので10年で破局
それから私は会社員を辞めて独立して仕事を始め子供のために働きました。
その間に好きになった人もいましたが結婚までは踏み切れなかった
やっぱり子供ファーストで考えました
こんなこと言うとカッコよく聞こえるかもしれないですが実は自信が無かっただけで子供にも決して良い母親ではありませんでした(今でも反省?嫌後悔しています)
離婚から5年ほど経過して今の主人と出会います
そこから考えました今の仕事はいつまで続けられるのか?もっと長く働ける仕事は無いのか?
いろいろ考えている時に結婚相談所?!これかな💡
そして大手結婚相談所にも会員として登録もしました。アルバイトで他の結婚相談で働いたりしました。
その中でこれがおせっかいな私にできる仕事だと確信してスタート
30代半ばでスタートし今に至ります